リートベルト解析マスターが勧める新規機能材料の開発に必須のツール
2018年2月掲載
株式会社日産アーク デバイス解析部 デバイス解析室 室長 博士(工学)
伊藤孝憲さん
リートベルト解析や第一原理計算を利用した高い材料解析技術で知られる、株式会社日産アークの伊藤孝憲さんに、ICSDのご活用方法について伺いました。
専門家の少ない分野を究めることで自分だけの強みを手に入れる
——伊藤さんのご研究について教えてください。
伊藤さん:日産アークは、自動車材料の分析・解析で蓄積した豊富なノウハウを有する分析会社です。リチウムイオン電池、燃料電池関係の分析依頼が多いですが、その他にも企業、研究機関などとの新規材料開発や新たな解析法の開発などの共同研究も行っています。例えば2016年、様々な高度解析を駆使し、アモルファスシリコンの構造決定を行い、Nature Communications に発表させて頂いています。いつでも最先端技術構築を意識した分析会社で
Akihiko Hirata, Shinji Kohara, Toshihiro Asada, Masazumi Arao, Chihiro Yogi, Hideto Imai, Yongwen Tan, Takeshi Fujita & Mingwei Chen, "Atomic-scale disproportionation in amorphous silicon monoxide", Nature Communications 7, Article number: 11591 (2016).
doi:10.1038/ncomms11591
先端大型研究施設を活用したハイエンドソリューション
私自身はもともと日産自動車で電気自動車用リチウムイオン電池の研究開発に従事していたのですが、材料を自分で開発したくなり、材料メーカーのAGCセイミケミカルに転職しました。その前職にいる時に、自分の強みになる技術を身に着けたいと考えるようになり、10年ほど前から構造解析に専門的に取り組むようになりました。東京工業大学の佐々木聡先生の研究室で勉強させていただき、リートベルト解析や第一原理計算などのスキルを習得し、今では様々な材料の解析に応用展開しています。これらの構造解析の手法は、無機材料だけでなく、プラスチック材料の疲労や強度に関する情報を得るためにも活用可能です。こうしたこれまでにない視点での解析に、先駆けて挑戦していきたいと考えています。
私が材料分析だけでなく、材料を開発する立場を経験してきたことも、今では強みになっています。開発者と分析者双方の見方ができるからこそ、得られたデータの数値を提示するだけではなく、その材料の性能を低下させているポイントはどこなのかといった情報もお客様へフィードバックすることができます。
——なぜリートベルト解析に興味をもたれたのですか。
伊藤さん:開発担当者でリートベルト解析ができる方が少なかった、というのが大きな理由でしょうか。もちろん大学の先生レベルではいましたが。また、無機材料分析の現場では必ずと言っていいほどX線回折測定(XRD)が行われますが、その粉末回折パターンからは、様々な情報が得られますが、多くの方がパターンを眺めるだけになっています。透過電子顕微鏡(TEM)やX線光電分光法(XPS)は定性的、局所的にはXRDより圧倒的に有利です。しかし、マクロで定量的な情報はXRDに敵いません。試料の中のアモルファス量を求めることも可能です。しかし、XRDから多くの情報を引き出すようなことをしている方はほとんどいないため、リートベルト解析をマスターすることが強みになると考えたのです。
5年ほど前にはリートベルト解析の初学者向けに本も書きました。解析に使用するRIETAN-FPというソフトのインストール手順からエラーメッセージが出た場合の対処法まで、これからリートベルト解析を始める人にとって必要な情報を一から丁寧に解説しました。多くの方に読んでいただけたようです。それでも、誰もができるようにはならないのがこの解析の奥深いところです。
リートベルト解析を勉強した後、私は実験室系の分析に物足りなさを覚えて、大型放射光施設での実験や、リチウムイオン二次電池に使うリチウムなどの軽元素を議論できる構造解析手法として中性子回析実験も行ってきました。さらに元素ごとの情報を知りたくなりX線吸収微細構造解析(XAFS)も行うようになりました。その後、結合長や結合角などの構造解析のデータが材料の物性にどう影響しているのかをきちんと実証したくなり、第一原理計算を取り入れるようになりました。第一原理計算を用いると、例えば電子構造を計算して、解析対象の物質に電気が流れる可能性があるかどうかを予測できるなど、特に電池材料の分野で重要なことがいろいろとわかるようになりました。
こういうことがわかるようになればお客様は喜ぶだろうな、と思いながら常に新しい解析方法を模索しています。自分の研究であれば考えたことを思うように発表すればいいですが、私はお客様が納得するような解析、計算を行わなければなりません。それは相当困難ですが、逆にやりがいもあり自分自身の技術成長には欠かせないと思っています。
データの誤りを指摘された経験でICSDの信頼性を実感
——伊藤さんがICSDを使い始めたのはいつごろですか。
伊藤さん:東京工業大学で構造解析を勉強していたときに知り、それからずっと利用しています。構造解析には必須のツールですね。リートベルト解析で必要な初期データとして、CIFファイルをICSDからダウンロードしています。第一原理計算の初期構造を構築するにも必須アイテムです。
——なぜICSDを使われているのですか。
伊藤さん:ICSDは、様々な物質の結晶構造や格子定数などのデータに、論文をひとつずつ読まなくても、すぐにたどり着けるので便利ですね。何よりデータの信頼性が高い点が評価できます。実は以前、自分が投稿した論文の結晶構造をICSDに採用していただいた際に、元のデータを送って欲しいと言われました。そのデータをICSDの製作元で検証したところ、私の解析結果に誤りがあると指摘されました。自分でも見直してみたら、ゼロ点シフトのパラメータと格子定数のパラメータを一緒に精密化するというミスをしたため、ゼロ点が大きくずれて格子定数に影響を与えていたということがわかりました。ICSDに収録されているデータはここまできちんと検証してあるのだと知り、改めて信頼性が高いと感じましたね(*)。
CIFファイルは、他にもフリーでダウンロードできるツールはありますが、信頼性を考えたら代わりにはならないでしょう。実際、フリーのCIFファイルでソフトを使って開けないものも多いです。
——具体的にどのようにICSDをお使いになっていますか。
伊藤さん:ICSDのデータには原子座標が含まれているので、精密構造解析にはそれが重要です。ICSDからダウンロードしたCIFファイルを、VESTAというソフトに読み込ませると、RIETAN-FPの入力ファイルを書き出してくれるので、スムーズにリートベルト解析に移ることができます。第一原理計算をするときに必要な、原子の座標に関する情報もICSDのCIFファイルから取得しており重宝しています。我々のように電池材料業界で新しい材料を研究する人にとっては必須でしょう。
お客様の最後の砦として、解析技術を磨き続ける
——構造解析への思いをお聞かせください。
伊藤さん:自分にとって構造解析とは“頼まれると断れないもの”です。学会などでは、XRD関連の発表は古い技術と思われるのかあまり注目を浴びていません。リートベルト解析を行っている方も見かけますが、格子定数を解析するところまでという場合も多いようです。本当はもっと、原子の占有率やデバイ-ワラー因子などについても議論ができるはずなのですが、なかなかそこまで手が回らないのかなと思います。そう考えると、RIETAN-FPでのリートベルト解析を世界で一番多く行っている研究者の一人である私の解析技術を信頼し、最後の砦として相談に来てくださるお客様に対しては、難題であっても、断らずに取り組みたいと思います。
——伊藤さんの今後の展望について教えてください。
伊藤さん:最近挑戦しているのは、構造パラメータのマッピングです。走査型電子顕微鏡(SEM)や赤外分光法(IR)、ラマン分光法などのイメージングのように、放射光などで何点か条件を変えて取得したデータから構造パラメータや格子定数、ある原子の占有率などを三次元で可視化できればおもしろいだろうと考え、他機関と共同研究を進めています。
ただ、本当の将来の夢は哲学者です。一番勉強したいのは、フーコーの構造主義。もちろん、こちらの分野で言う構造とは全然違うものですけどね。
JAICI:本日はどうもありがとうございました。
ユーザー紹介
株式会社日産アーク
〒237-0061
横須賀市夏島町1番地
1990年に設立。日産自動車の研究開発部門で蓄積された材料の分析・解析ノウハウによる社会貢献を理念に掲げる。「問題解決型」「研究型」「評価型」の三つの形態で、有機・無機を問わず様々な材料の分析・解析のスペシャリストたちが高い分析サービスを提供する。
伊藤 孝憲 (いとう たかのり) さん
1992年 東京理科大学理工学部工業化学科卒業。1998年 東京理科大学理工学研究科工業化学専攻博士課程修了。博士(工学)。1998年 科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業研究員。1999年 日産自動車株式会社入社、リチウムイオン電池の研究開発に従事。2005年 AGCセイミケミカル株式会社入社、固体酸化物形燃料電池材料開発、結晶構造解析に従事。東京理科大学理工学部工業化学科井手本・北村研究室客員研究員兼任 (~2016年)。2016年 株式会社日産アーク入社。デバイス解析部デバイス解析室長。2017年 立教大学非常勤講師、日本セラミックス協会オーガナイザー兼任。現在に至る。
「RIETAN-FPで学ぶリートベルト解析」(情報機構、 2012.7)など著書あり。
化学情報協会では、ICSDやCSDなどX線構造解析で決定された結晶構造のデータベースや物性データベースを扱っております。ICSDには格子定数、原子座標、空間群を始めとする結晶情報、出典情報が収録されています。