天然物創薬のルネサンスを支えるCHEMnetBASE
CHEMnetBASEユーザーインタビュー
2022年10月
熊本大学 大学院生命科学研究部附属 グローバル天然物科学研究センター 天然薬物学分野
教授 塚本 佐知子 先生
准教授 人羅 勇気 先生
海洋生物などの天然資源から医薬品候補となる新規化合物の探索に取り組む熊本大学大学院生命科学研究部附属グローバル天然物科学研究センターの塚本佐知子先生と人羅勇気先生に、CHEMnetBASE(化合物辞典シリーズ)の活用方法について伺いました。
海洋生物資源から天然物創薬を目指す
——現在、お二人が取り組まれている研究について教えてください。
塚本先生:人類は、長い歴史の中で植物、微生物、海洋生物などの天然資源から有用な物質を見つけ出し、医薬品、農薬、化粧品などとして利用してきました。熊本大学のグローバル天然物科学研究センターに所属する私たちの研究グループは、天然資源から医薬品候補となるような生物活性物質を探索しています。1)、2)、3)
探索にあたってまず大切なことは、優れた材料を集めることです。私は、薬用植物から微細藻類、海洋無脊椎生物と研究対象を広げてきましたが、ここ熊本に赴任してからは、県内を中心とした九州地方の干潟土壌や植物、海綿やホヤなどを採集し、また、これらの採集した土壌や生物から微生物を単離しています。こうした地域特有の試料を天然資源として、独自の天然資源エキスバンクを構築しました。2016年からは、海洋天然物を専門とする人羅先生にもグループに加わってもらい研究を進めています。
天然物創薬シーズの探索には、優れた材料に加えて独自の評価系を持つことも重要です。私たちは、タンパク質分解経路の一つであるユビキチン‐プロテアソームシステムに着目しています。この分解系は多くの段階から構成されていますが、各段階に対して独自の評価系を構築したことで、これまでに海綿などから多くの阻害物質を発見することができました。ユビキチン‐プロテアソームシステムは多様な生命現象に関わっており、その破綻は疾病につながる一方で医薬品の標的として期待されています。実際、プロテアソーム阻害物質の中には、多発性骨髄腫の治療薬として利用されているものがあります。私たちは現在、がん抑制遺伝子産物であるp53タンパク質の分解を阻害し、その結果抗がん作用を示すことが期待できるような化合物の探索に、特に力を入れています。また、破骨細胞の分化抑制作用や抗菌作用などを評価して、骨粗鬆症や感染症の治療に役立つ天然有機化合物も探索しています(図1)。
1) A. H. H. El-Desoky, K. Eguchi, N. Kishimoto, T. Asano, H. Kato, Y. Hitora, S. Kotani, T. Nakamura, S. Tsuchiya, T. Kawahara, M. Watanabe, M. Wada, M. Nakajima, T. Watanabe, S. Misumi, S. Tsukamoto. "Isolation, synthesis, and structure-activity relationship study on daphnane and tigliane diterpenes as HIV latency-reversing agents." J. Med. Chem. 65, 3460-3472, 2022.
https://doi.org/10.1021/acs.jmedchem.1c01973
2) Y. Hitora, A. Sejiyama, K. Honda, Y. Ise, F. Losung, R. E. P. Mangindaan, S. Tsukamoto. "Fluorescent image-based high-content screening of extracts of natural resources for cell cycle inhibitors and identification of a new sesquiterpene quinone from the sponge, Dactylospongia metachromia." Bioorg. Med. Chem. 31, 115968, 2021.
https://doi.org/10.1016/j.bmc.2020.115968
3) H. Kato, T. Yoshida, T. Tokue, Y. Nojiri, H. Hirota, T. Ohta, R. M. Williams, S. Tsukamoto. "Notoamides A–D: new prenylated indole alkaloids isolated from a marine-derived fungus, Aspergillus sp." Angew. Chem. Int. Ed. 46, 2254-2256, 2007.
https://doi.org/10.1002/anie.200604381
——海綿やホヤなどの海洋生物がどうして医薬品になるような化合物をつくるのでしょうか。
塚本先生:一般的に生物は、自己の生存に役立つような物質をつくっているといわれています。例えば、餌となる生物を誘引するような物質や敵が嫌う忌避物質をつくって、捕食・生体防御、種族維持のために利用していると考えられています。このように他の生物に作用する特性を持つ化合物は、結果として医薬品としても機能すると考えられます。
人羅先生:実は、複雑な構造を持つ化合物をつくっているのは、海綿やホヤではなく、これらに共生した微生物という場合もあります。海綿などの海洋生物は、フィルターフィーダーとも呼ばれ、一日に何トンもの海水を取り込んで海水中に含まれる微生物を餌としています。このような生態であるがために海綿には、長い進化の過程で微生物が共生するようになったといわれており、その微生物が様々な化合物を産生していることが分かってきました 。
——天然資源を採集するとき、どのようにして生物種を選ぶのですか。
塚本先生:お世話になった恩師には、「海綿を採集する時に、これにはいいものが入っていると思って採らないとだめです。手当たりしだい何でも採集するようではプロといえません。色、形、感触に加え、一種の『気』を感じて採るようにならないといけません。これには経験と感が必要です」と教えられました。採集する際には教えを心がけていますが、これまでに採った海綿は採らず、まだ採ったことがない海綿を採集するようにしています。
人羅先生:私は海洋研究開発機構に所属する研究者との共同研究で、深海の土壌から単離した微生物の分析も行っていますが、それこそCHEMnetBASEを活用して、これまでに報告がない学名の微生物を選んでいます。
天然物創薬に必要なあらゆる情報を網羅するCHEMnetBASE
——CHEMnetBASEを活用されているとのことですが、どのように利用されているのか詳しくお聞かせいただけますか。
人羅先生:私たちは生物に含まれる化合物に着目し、得られた化合物が既に報告されているかどうか、報告例がある場合はその化合物がどのような生物活性を持っているかを調べながら、研究を進めています。そのため、研究のあらゆる過程でCHEMnetBASEを使用し、その中でも特に天然物辞典を活用しています(図2、図3)。
私たちが扱う微生物や海綿の多くは、学名までは分からない状態で採集されたものですが、LC/MSで成分を網羅的に検出したときに得られる分子量やUV吸収スペクトルといった物性情報で検索して、化合物を単離する前の段階で、その成分が新規化合物なのか、既に報告されている化合物なのかを調べています。もし既知化合物である場合は、天然物辞典に由来生物種の学名の記載がありますので、採集した微生物・海綿の学名を推定することができます。その後、化合物を精製して構造を解析したときにも、天然物辞典で部分的もしくは全構造式の検索を行い、新規化合物であるかどうかを判断しています。
私たちは新しい化合物を見つけ出すことを目標としていますが、同時に、医薬シーズとなるような化合物の単離を目指しています。そこで、独自の評価系を指標に抗がん活性など何らかの生物活性を示す化合物が単離できたときに、その化合物について既に何らかの生物活性が報告されているかどうかを調べるという使い方もしています。
他の化合物全体のデータベースでは、合成物など天然物ではないものもヒットしてしまいますが、天然物辞典は天然物に特化した報告例が集約されているため、天然資源由来の成分を網羅的に調べるときに非常に有用です。
——CHEMnetBASEの化合物大辞典を導入されたきっかけを教えてください。
人羅先生:グローバル天然物科学研究センターでは、海洋生物だけではなく微生物や植物など幅広い生物種を研究対象としています。分子量や構造式といった物性情報は、ほとんどの化合物データベースに含まれていますが、生物起源まで収載されているものは少ないのが現状です。そこで、ほぼ全ての生物由来の化合物情報を含む天然物辞典がセットで利用できるCHEMnetBASEの化合物大辞典を利用するようになりました。天然物辞典のType of Organismという機能(図4)により、化合物が海洋生物由来なのか、植物由来なのか、微生物由来なのか、微生物の中でも真菌由来なのか、放線菌由来なのかといったことを一瞬で判断することができます。これは大変助かります。さらに、関連する論文の内容もデータベース化されており、論文で報告されている物性情報や生物活性を天然物辞典の検索画面上で見ることもできます。論文そのものを入手することが難しい場合でも必要な情報が得られるため、重宝しています。
天然物辞典などのデータベースがなかった時代は、単離した化合物が既に報告されているのか、どのような生物活性をもっているのかを調べるために、関連する論文を検索して、ひとつひとつ内容を確認していく必要があり、天然物の研究には非常に骨の折れる作業がつきものでした。しかし、天然物辞典を利用することで、必要な情報にたどりつくまでの時間が大幅に短縮したと感じています。
熊本発の化合物を世界の医薬品へ
——いま天然物化学研究に力を入れる意義を教えてください。
塚本先生:天然物創薬の全盛期である1980~1990年代には天然物から多くの化合物が発見されました。しかし、天然資源をスクリーニングして単離した化合物の構造を決めるという実験操作は当時の技術では非常に時間と労力がかかったため、企業の撤退が相次ぎ衰退してしまいました。その後、低分子医薬、抗体医薬、核酸医薬など新しいモダリティーの医薬品が発展し、それにともなって分析技術や評価技術に加えて様々なスクリーニング法が開発されました。しかし現在も、世界中で伝承医療が活用されていること、約半数の医薬品が天然物に関連することから、近年飛躍的に進歩した分析技術を用いて、いま再び天然物を探索することで医薬品候補となる新たな化合物を発掘できるのではないかと期待しています。
——今後の抱負や読者へのメッセージをお聞かせください。
人羅先生:熊本大学大学院グローバル天然物科学研究センターは、天然物創薬をミッションに掲げる日本有数の研究施設です。天然物探索・合成、製造・品質管理・分析、感染症・急性疾患評価、希少疾患・慢性疾患評価、国際・企業連携といった様々な分野の研究者が協働しながら、天然物医薬品の開発を目指した創薬研究を推進しています。ここ熊本で天然物に関連した研究に活発に取り組んでいることを、全国そして世界にアピールしていきたいです。学生や共同研究者の皆さんと一緒に楽しみながら、他分野からも興味を持ってもらえるような、注目されるような研究を行い、将来の天然物化学研究を盛り上げていきたいと思っています。
塚本先生:新しい化合物を探し求めて、その化学構造が分かる瞬間というのは、まるで宝物を発見したようなわくわくする瞬間です(図5)。見つけた宝物が薬という形で役立てられれば、とても素晴らしいことです。こうした楽しみを、学生の皆さんにも味わってもらいたいです。私はこれまで共同研究者に恵まれ、お互いの専門的な技術や知識を共有することにより、研究を通して多くの感動を経験してきました。前任地の金沢では、能登半島で採った貝から単離した真菌が生産するアミド化合物にノトアミド(図6)3) 、ここ熊本で海綿から単離したアミンの一種にアマクサミン(図7)4)と、地域に因んだ命名をしてきました。これからも熊本に天然物化学ありと発信できるような化合物をたくさん見つけていきたいと思います。
4) Y. Maeyama, Y. Nakashima, H. Kato, Y. Hitora, K. Maki, N. Inada, S. Murakami, T. Inazumi, Y. Ise, Y. Sugimoto, H. Ishikawa, S. Tsukamoto. "Amakusamine from a Psammocinia sp. Sponge: Isolation, Synthesis, and SAR Study on the Inhibition of RANKL-Induced Formation of Multinuclear Osteoclasts" J. Nat. Prod. 84, 2738–2743, 2021.
https://doi.org/10.1021/acs.jnatprod.1c00758
——私たちも天然物創薬が盛り上がっていくことを願っています。本日はありがとうございました。
ユーザー紹介
塚本 佐知子(つかもと さちこ)先生
1986年北海道大学薬学部教務職員。1988年北海道大学大学院薬学博士号取得。1988年米国ロードアイランド大学薬学部博士研究員。1992年新技術事業団(現・科学技術振興機構)研究員。1996年(株)海洋バイオテクノロジー研究所研究員。1997年東京大学分子細胞生物学研究所リサーチ・アソシエート。2000年金沢大学薬学部助教授。2008年千葉大学大学院理学研究科教授。2009年熊本大学大学院医学薬学研究部教授。2019年熊本大学大学院生命科学研究部附属グローバル天然物科学研究センター教授に就任、現在に至る。
1999年日本薬学会奨励賞、2010年日本薬学会学術振興賞など受賞
人羅 勇気(ひとら ゆうき)先生
2015年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。2015年理化学研究所訪問研究員。2016年熊本大学大学院生命科学研究部助教。2019年熊本大学大学院生命科学研究部附属グローバル天然物科学研究センター助教。2022年熊本大学大学院生命科学研究部附属グローバル天然物科学研究センター准教授に就任、現在に至る。
2021年日本薬学会生薬天然物部会奨励研究受賞
化学情報協会では Taylor & Francis Group / CRC Press 社のオンラインで化合物情報を検索するCHEMnetBASEを取り扱っております。このデータベースは、天然物、食品中の化合物、ポリマー等の各種物性情報や文献情報が収録されています。物性値の範囲指定検索やCAS Registry Number®、生理活性、生物起源などのテキスト情報による検索、部分構造検索などを組み合わせることで、目的の化合物を探し出すことができます。