カーボンナノチューブを発見したのは誰か?
コラムでは、CAS SciFinder のユーザーの方を対象に、検索に関するお役立ち情報や、ちょっとした豆知識を提供しています。本稿では CAS SciFinder で引用文献検索を交えて、カーボンナノチューブの話題をお届けします。
炭素の同素体
高校の化学の授業を覚えていますか?炭素の同素体は、グラファイト (黒鉛) とダイヤモンドと習いましたか?
実は、昭和版の教科書には「炭素の同素体はダイヤモンドと黒鉛」と書かれていましたが、その後平成版になるとフラーレンやカーボンナノチューブが併記されるようになったそうです。(注1)
炭素同素体の発見とノーベル賞
カーボンを黒鉛化することによりできるグラファイト (黒鉛) は、規則的な配列をしているカーボンの塊で、炭素原子でできた単層シートであるグラフェンが複数積層した物です。グラファイトの層状構造は何世紀も前から知られていましたが、単離に成功したのは 2000 年代に入ってからのことでした。
上図の炭素同素体の中では、1980 年代にフラーレンが、その後 1990 年代にカーボンナノチューブが作成・報告されました。
一方、グラフェンの開発が最初に報告されたのは 2004 年 の Science (CA 文献番号 2004:866953)です。そして、なんと 2010 年にノーベル物理学賞を受賞しました。その優れた特性を思えば受賞は不思議ではないかもしれませんが、開発からわずか 6 年後の受賞には驚いた方も多いのではないでしょうか。
1996 年にはフラーレンもノーベル化学賞を受賞しています。
カーボンナノチューブの悲哀
カーボンナノチューブが一躍有名になったのは、飯島澄男博士が発表した 1991 年の Nature (CA 文献番号 1993:507814)です。飯島博士はフラーレンの生成作業中に、陰極の炭素棒の上に堆積した煤の中からカーボンナノチューブを発見しました。(注3)
カーボンナノチューブは、厚さが炭素原子1個分のシートであるグラフェンを丸めた構造です。チョコレートを刃物で薄く削ぐと、薄く削がれたチョコレートが丸まるイメージですね。
フラーレンの発見や、グラフェンの実験がノーベル賞の受賞理由だとしたら、何故、一緒にカーボンナノチューブに関する研究も受賞できなかったのだろうか、と疑問に思う方がおられるのではないでしょうか。
実際、カーボンナノチューブの研究で有名な飯島澄男博士や遠藤守信教授の名前が、毎年ノーベル賞シーズンの話題にあがりますが、2024 年 2 月時点ではまだ受賞していません。
「最初」を探すための引用文献検索
ノーベル賞の選定にあたっては、「最初に発見・発明・開発した」ことも重要な要素のひとつであると考えられます。
それでは、カーボンナノチューブを最初に発見した人は誰だったのでしょうか?
透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope:TEM) 前
この疑問については、2006 年に M. Monthiouxと V.L. Kuznetsov が Carbon という雑誌に発表した論文 『Who should be given the credit for the discovery of carbon nanotubes?』(CA 文献番号 2006:475751)(注4) が参考になります。
この文献によると、カーボンナノチューブが最初に作られた可能性があるのは、1889 年の T.V. Hughes らの米国特 US405480(CA 文献番号 1906:141185)です。また、1890 年に P. Schutzenberger、1903 年に C. Pelabon (CA 文献番号 1906:116201、1906:166694)もカーボンナノチューブを作成していた可能性があります。
しかし、この 3 つの文献では、カーボンウール、カーボンフィラメントの生成は言及しているものの、カーボンナノチューブという言葉や概念は現れていません。
なぜなら、カーボンナノチューブの大きさをはっきりと観察できるようになるのは、透過型電子顕微鏡(TEM)の登場(1931年)まで待つ必要があったためです。
最初のカーボンナノチューブ観察報告
最初にカーボンナノチューブを観察したと思われる報告は、旧ソ連の科学者である L.V. Radushkevich と V.M. Luk'yanovich の 1952 年の論文(CA 文献番号 1953:36778)です。この論文の抄録には、「600 度の状態で、一酸化炭素中の鉄の上にできた炭素付着物を電子顕微鏡で観察すると、carbon particle は細長い蠕虫状の形(elongated wormlike shape)をしていた。このようなものが形成された理由は説明できない」と書かれています。
Monthioux らの文献には、この1952年の文献中の TEMイメージが転載されていますが、このイメージを見ると、確かにカーボンナノチューブのように見えます。
Who should be given the credit for the discovery of carbon nanotubes?
この研究があまり知られることなく埋もれてしまった理由として、Monthioux らは旧ソ連で発表されたためだと述べています。西側の研究者が旧ソ連の文献にアクセスするのが難しく、またアクセスできたとしてもロシア語で書かれた文献を読むのは難しかっただろうと。
また、文献データベースにも収録されていなかったことも理由に挙げていますが、この理由に関しては間違っているのではないでしょうか。当文献は 1953年の Chemical Abstracts に収録されていますので、世界中の化学者が目にしているはずです。
その後、1976 年の信州大学の遠藤教授ら(CA 文献番号 1976:158101)を含め、単発で同様の研究が報告されてきましたが、何と言っても世界にインパクトを与えたのは、飯島博士が発表した Nature の論文でした。
Monthioux らは飯島氏の功績を称えているものの、カーボンナノチューブについては『再発見した人物』と位置づけています。
被引用文献の調査
CAS SciFinder では、引用文献や被引用文献の調査もできますので、今回は L.V. Radushkevich と V.M. Luk'yanovich の 1952 年の論文(CA 文献番号 1953:36778)について被引用文献の数の推移を見てみました。
ここで興味深い結果が分かりました。2006 年に Monthioux らの文献が発表された翌年の 2007 年から、Radushkevich らの文献の被引用文献数が大幅に増加し、2010 年には倍以上に増加しています。
Monthioux らの文献を読んで Radushkevich らがカーボンナノチューブの最初の発見者だという認識が広まったためかもしれませんし、カーボンナノチューブに関するノーベル賞の行方に注目している誰かがいるためかもしれませんね。
まとめ
CAS SciFinder により、先行技術の文献調査や引用文献の検索は容易に行えるようになりました。しかし、時代が変わっても研究の基本に変わりはありません。一歩でも自身の研究を前進させるために、CAS SciFinder を有効に使ってください。
フラーレン発見 25 周年にはグーグルのトップページのロゴもフラーレンに変わりました。いつか、また新しい炭素同素体が発見され、グーグルのトップページを飾る日が来るかもしれません。
参考文献と参考サイト
注1) 川井 正雄, "高校化学教科書の変遷 - 昭和 30 年代と平成 20 年代の比較 - ", 大阪市立科学館, (2024年2月21日取得,
https://www.sci-museum.jp/wp-content/themes/scimuseum2021/pdf/study/research/2016/pb26_071-074.pdf)
注2) The Nobel Prize , 2024, ”The Nobel Prize in Physics 2010”,The Nobel Prize ホームページ (2024年2月21日取得, https://www.nobelprize.org/uploads/2018/06/popular-physicsprize2010.pdf)
注3) NEC, 2017, "カーボンナノチューブの発見", NEC ホームページ (2024年2月21日取得, https://jpn.nec.com/rd/technologies/cnt/history/index.html)
注4) M. Monthiox 他, CARBON 44 (2006), "Who should be given the credit for the discovery of carbon nanotubes?", (2024年2月21日取得, https://nanotube.msu.edu/HSS/2006/1/2006-1.pdf)
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掲載日 2024 年 2 月 27 日